2009年12月27日日曜日

日向国についての備忘録

古事記に曰く、伊耶那岐命が黄泉国より帰ってきて禊を行ったのが有名な「日向の橘、阿波岐原」という所ですね。原文では「到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐【此三字以音】原而。禊祓也。」の部分です。
「道は阿波より始まる」1巻には日向国は「風土記」には一切登場しない、「釈日本記」に景行天皇が名付けた云々の記載があったので、疑わしくも思い調べていましたらこれがあるんですね。
ちなみに古事記原文が下図。

で、「釈日本記」が下図。左から3行目以降に
「景行天皇紀日十七年春三月.......」とあるくだりです。
たしかに「日出方故號其國曰日向成」とあります。
景行天皇は12代目、いくら後年に見積もっても4世紀以降であるとは考えられず
太安万侶が編著中に8世紀当時の地名を当てはめない限り伊耶那岐命の往事九州には決してあり得ない地名だったということでしょう。




ブログの趣旨とは違いますが備忘録代わりに記しておきます。

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