2011年11月20日日曜日

奈良飛鳥行(2)

奈良飛鳥行(1)からの続きです。
橿原神宮参拝の後、まずは山田寺跡へまいります。

山田寺(やまだでら)は、奈良県桜井市山田にあった古代寺院。法号を浄土寺または華厳寺と称する。蘇我氏の一族である蘇我倉山田石川麻呂(そがのくら(の)やまだのいしかわ(の)まろ)の発願により7世紀半ばに建て始められ、石川麻呂の自害(649年)の後に完成した。中世以降は衰微して、明治時代初期の廃仏毀釈の際に廃寺となった。その後、明治25年(1892年)に小寺院として再興されている。 Wikipediaより


 ところで、下の写真はホテルの売店前に飾られていた「せんとくん」と「まんとくん」
が仲良くしてる姿です(笑)
心なしか「まんとくん」が嫌がっているように見えるのは私だけでしょうか(笑)
で、余談でございますが、阿波の石井町には「曽我氏神社」という神社がございまして
彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)と木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
が御祭神で、「あの」曽我十郎祐成(そがじゅうろうすけなり)、五郎時致
(ごろうときむね)の曽我兄弟を合祀となっております。
写真は写りが悪くてごめんなさい。

徳島県神社誌にもそのように記載されておりますが、どう考えても曽我兄弟を祀る理由も
無く、江戸時代の国学者、永井精古も、
「曽我兄弟(そがきょうだい)を祀るいわれはない」旨の発言をいたしております。

一説に蘇我氏没落後、阿波に配流されたのが、ここと言われます。 
で、「曽我氏神社」境内には「武知神社」なる神社が祀られており、詳しい由緒は
伝わっていないものの「武知麻呂」を祀ってあるそうです。
 これも、一応の説明は曽我兄弟の従者であった「武知麻呂」だそうですが、「武知麻呂」
って、あ〜た都合が良すぎる名前じゃありませんか。
個人的には、「曽我氏神社」は蘇我氏を祀ると考えます。
では「武知麻呂」は?「◯原武智麻呂」ってか?
祀られる理由がないんですよね。
「◯原武智麻呂」の母親が「蘇◯娼子」っていうことくらいしか(笑)
でも、こんなの書いてると、またバカにされそうですな(笑)
石井には「石川神社」ってのもありますしね。市楽の板碑のある有名な神社ですが
ここについては別の機会に。

ちょっと半端ですけど、まだ続きますので。

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