2012年7月13日金曜日

降魔山 密厳寺

うわあ、間が結構開いてしまいました。
だって書く事無いんだもん。
で、脈絡も無く徳島県徳島市不動本町の「降魔山 密厳寺(みつごんじ)」。
お寺には失礼なんですが、ふつ〜のお寺です。


四国三十六不動尊霊場十三番札所。別名は不動院。
大宝年間に行基が不動の尊像を刻んでこの地に安置した。その後、長宗我部元親の兵火に罹ったが、蜂須賀至鎮の加護を受け毎年正月28日、7月28日、両縁日には諸災消除万民豊楽の記念日となった。
とあります。
不動名は新居不動と申し、三十六不動の内、伊醯羅童子(いけいらどうじ)を祀ります。

大宝年間に行基が不動の尊像を刻んでこの地に安置した。


とあり、文武天皇の御宇、701年〜704年の間、なかなかに由緒あるお寺です。
場所はここ

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春は桜がきれいな所です。


車不動尊も祀られてますが、いつの間にか交通事故防止の不動尊になっちゃってます。
ところで。
ここには、こんなのがあるんです。
「天保飢饉供養常夜燈」
ご覧のように天保の飢饉で144人が亡くなったとあります。
飢饉なので餓死ですね。
天保八年は1837年、いわゆる天保の大飢饉の末期です。
優恤(ゆうじゅつ)を蒙るもの幾千人不幸にして死者144人とあります。
(優恤(ゆうじゅつ)は哀れんで悲しむ事の意味ね)
多分村内の人口が数千人だったのでしょう、その中で144人が餓死。
全国的な飢饉で大阪では毎日約150〜200人を超える餓死者を出していたと
いいますから、それに比べれば被害は少なかったのかもしれませんが・・・


今の時代では餓死なんて普通じゃ考えられません。
いわゆる飽食の時代です。
テレビを見ても、この前なんか一食8千円のランチなんて放送してるんですぜ。
自分もえらそうな事は言えないけど、食べ物を粗末にする事は決して無いつもりです。
(だから体重が減らないんだなぁ)
でもそんな事言ってもダメなんでしょうね。
100円出せばハンバーガーが買える昨今、食べ物を残すなって言っても、欲しくない
ものを無理矢理食べさせるのは正しくないなんて言われるんですぜ。
情けないったらありゃしない。
ちょっとは、こう言う事もあったんだって思いを馳せてもらいたい、古くさいオヤジでした。

2 件のコメント:

  1. 旧讃岐街道沿いです。蔵元村を過ぎて島田村から鮎喰川を渡ると目の前がお不動さんだ。
    凶作の原因は冷害でしょうか、天保の高地蔵が見当たらないから。新居村の人口は数百だったと思いますよ。幾千てのは大勢って意味でしょう。村人が144人だったら、壊滅的ですよね。私の御先祖は庄村だけれど、法谷寺にそのような記録があったのかな?

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    1. to 匿名さん
      冷害、冷夏だったようですね。
      長雨が続いたとも。
      江戸では稲刈りの季節に雪が降った記録もあるようです。
      ただ、天保の飢饉は天保十二年頃まで続き、天保十四年発生の阿波最大の一揆
      「上郡一揆(かみごおりいっき)」の原因となっています。

      面白いのが、天保八年、この飢饉に端を発した大塩平八郎の乱が発生しますが
      この大塩平八郎どうも阿波の人のようです。
      変に符合してしまいますね。

      他の寺社はどうなんでしょうかね。
      餓死者が出るのが当たり前だったんで慰霊碑はあえて作らなかったとか。
      記録は当時の過去帳記載の人数で見るしか無いでしょうかね。

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